※この記事は、前回の記事
「父の90歳誕生日と、メダパニ級“嫉妬妄想”の夏(1/3)」
の続きです。
※この記事は、認知症の周辺症状(BPSD)のひとつである「嫉妬妄想」が強く出ていた頃の記録です
ほぼ毎日のように、母が怒っているんですよ。
いわれのない浮気疑惑から被害妄想まで、
とにかく父に攻め寄る、という感じ。
これは、母の認知症の周辺症状のひとつである
「嫉妬妄想」が、少し強く出ていた時期の話です。
役に立つ話というより、
今回は実録中継そのままです、すみません😅
母の認知症で起きていた「嫉妬妄想」の状況
私が気づいたときには、
ほぼ毎日のように「母が何かに怒っている」状態でした。
内容は、
いわれのない浮気疑惑から被害妄想まで。
とにかく父に攻め寄る、という感じ😓
家族が最初に取っていた対応と、その限界
誰にも相談しなかった父の判断
父としては、
「これは外に助けを求める類のものではない」
そう考えたようです。
娘である私や、
訪問看護さん、ヘルパーさんに
知られること自体が恥だった。
だから、誰にも相談しなかった。
そのため、事業所さんの報告書にも上がらず、
ケアマネさんも状況を把握できないままでした。
この世代あるあるなのかもしれませんね。(ネガワクバオシエテホシイ)
症状かどうかが分からなかったという90歳の現実
父は、母が認知症であること自体は理解していました。
ただ、
- これは症状なのか?
- どのくらい進んでいるのか?
それを推し量ることが、
できなかったのだと思います。
――ああ、これが年を取るということなのか。
ここは、私が理解しなければならない部分でした。が
無理からぬことも多いとあまり自分は責めていません
一般的に勧められる「受容的対応」を試してみた
そこで、私はネットで
「嫉妬妄想 対応」と検索し始めます
ケアマネさんからも、助言をもらい。
「(ゆったりと柔らかい笑顔で)そんなことないよ~」
「そうだね。お母さんはそう感じたんだね~」
「そっか。そう受け止めたんだね。だったら辛いね~」
父にも早速伝えます。
父には現実的でなかった理由
……うーーーん。😅😅😅
正直に言うと、
確かにこれを父が母に言う姿は想像全く出来ぬ。
一応、父にも伝えてはみたものの、
やっぱり無理だ。(デスヨネー)
元々無理だ。(ジャーショーガナイ)
そういう家族じゃない。(ヨクシッテル)
とはいえ、
そんな感想を言っている場合でもなく、
喧嘩は続きます。(ソウダヨネー泣)
父
「そんな事あるわけねーじゃねーか😤💢」
どう考えても無理ゲー。
90歳の誕生日、おめでとう……💐
実際に私が行った対応と、その結果
じゃあ、今度は私がやってみる。
「そっかーーー、そんな風に感じてるのか~」
「それは辛いよね……」
「うんうん、そうか~。そうなの~?」
言い慣れない言葉が、
乾いた口の中で絡まりながら、返事を繰り返す。
受容的な声かけで一時的に落ち着いたこと
確かに、
興奮を収める効果はあるように思います。(ヨカッタ)
5〜10分ほどで感情が落ち着いてきたタイミングを見て、
「あ、喉乾いた!飲み物買ってくるけど何がいい?」
「あ、そういえば明日のお迎え、時間なんだけど?」
場面転換を図る。
うまくいけば一旦収まる。
まあでも、継続モードに入ることもありました(ソウダヨネー)
それでも続いた混乱と危険
それでも、目安はだいたい1時間。
タオルや雑巾が飛び交い、
父と話し合いながら、
(考えたくもないけれど)
包丁は先に隠す。
ベランダには出られないよう、鍵をかける。
危険を感じる場面も、確かにありました。
それは私の予想をはるかに超えていることに驚くばかりでした
この対応が母には合わなかったと気づいた理由
私が試みていた「受容的な態度」。
あとになって、
それが母には向かなかったことが分かります。
ここで一度、区切ります。
続きます。
(@^^)/~~~
📚 この話は3話構成です
▶ 父の90歳誕生日と、メダパニ級“嫉妬妄想”の夏(1/3)
▶ 認知症の「嫉妬妄想」について、家族として試したことの記録(2/3)現在地
▶ 認知症の「嫉妬妄想」について、家族として試したことの記録(3/3)
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